「ピュアな憧れ」がいちばん人の心を動かす
G1さん
やっぱり、純粋な憧れの気持ちっていうのが、いちばん人の心を動かすんじゃないかなと思います。
ぼくの場合、とにかく競馬のジョッキーを見て「かっこいいな、自分もあんなふうになりたいな」と憧れたっていうことがいちばん大きいですから。
これも、乗馬の技術をいくら口で教えても伝わらない、ということとも繋がると思いますが、人間っていくら言葉で「こういう生き方をしなさい」「こう生きたらいいよ」とか言われても言われた本人がその言葉を欲していないのであれば、効果的に響かないと思っています。
でも、例えば音楽聴いて「このミュージシャンかっこいいな」と衝撃受けたとか、漫画とか映画見て感動したときとか、「あんなふうに自分もなりたいな」って感じたとき、そういうピュアな憧れって、いちばんストレートに心に入ってくる、突き動かされるってところがある。
だから、どんなことでもいいから、「自分が憧れたことを一回やってみる」というのはすごく大事じゃないかなと思います。
やってみて、環境によっては合わなかったり、楽しいと感じない所が実は技術レベルが高かったり、ということもあるんですけどね。
そういうことも、一歩踏み出すからこそ分かってくることじゃないですか。
そうやって、とにかく一歩を踏み出してみると、だんだん自分がなにが好きなのか、得意なのかも分かってくるし、自分の好きなことを追求してると、もしかしたら自分自身がその分野のパイオニアになるかもしれない。
自分が追求したことから「新しい職業」を、自分が生み出せるかもしれない。その分野の最初の人間になれるのかもしれないじゃないですか。
ぼく自身、憧れを追って生きてきたから、「あのとき、こうしてたらよかったな」とか「もっと勉強したらよかった」とか、そういう後悔っていうのがないんですよね。
嫌なことやしんどいことや失敗もあったけど、ぜんぶが今に繋がってるなって思えるから。
それは、自分が気になったらめちゃくちゃ調べるという気質で、なんでも自分で調べて自分で決めてきたからでもあると思います。
自分の道を自分で決めて生きてきたから、いろいろあっても後悔はないですよね。
ぼくは自分が「ジョッキーってかっこいいな」という憧れに引っぱってもらった、助けられたという思いがあるから、今も馬に乗っているときに、人から見て「かっこよく見えること」というのを、すごく意識するようにしています。
だから、ふだんの仕事で馬に乗るときの服装とかもこだわるようにしてるんです。
若い子とか次の世代の子たちなど、他の人が見たときに、「あ、かっこいいな」って直感的に感じとってもらえる可能性を少しでも上げて、僕みたいな人が一歩踏み出そうとした時に助けになれたり憧れてもらえれるように。
人の心を動かす要素って、そういう感覚的に受けとる部分が大きいと思うから。
ぼくの場合、とにかく競馬のジョッキーを見て「かっこいいな、自分もあんなふうになりたいな」と憧れたっていうことがいちばん大きいですから。
これも、乗馬の技術をいくら口で教えても伝わらない、ということとも繋がると思いますが、人間っていくら言葉で「こういう生き方をしなさい」「こう生きたらいいよ」とか言われても言われた本人がその言葉を欲していないのであれば、効果的に響かないと思っています。
でも、例えば音楽聴いて「このミュージシャンかっこいいな」と衝撃受けたとか、漫画とか映画見て感動したときとか、「あんなふうに自分もなりたいな」って感じたとき、そういうピュアな憧れって、いちばんストレートに心に入ってくる、突き動かされるってところがある。
だから、どんなことでもいいから、「自分が憧れたことを一回やってみる」というのはすごく大事じゃないかなと思います。
やってみて、環境によっては合わなかったり、楽しいと感じない所が実は技術レベルが高かったり、ということもあるんですけどね。
そういうことも、一歩踏み出すからこそ分かってくることじゃないですか。
そうやって、とにかく一歩を踏み出してみると、だんだん自分がなにが好きなのか、得意なのかも分かってくるし、自分の好きなことを追求してると、もしかしたら自分自身がその分野のパイオニアになるかもしれない。
自分が追求したことから「新しい職業」を、自分が生み出せるかもしれない。その分野の最初の人間になれるのかもしれないじゃないですか。
ぼく自身、憧れを追って生きてきたから、「あのとき、こうしてたらよかったな」とか「もっと勉強したらよかった」とか、そういう後悔っていうのがないんですよね。
嫌なことやしんどいことや失敗もあったけど、ぜんぶが今に繋がってるなって思えるから。
それは、自分が気になったらめちゃくちゃ調べるという気質で、なんでも自分で調べて自分で決めてきたからでもあると思います。
自分の道を自分で決めて生きてきたから、いろいろあっても後悔はないですよね。
ぼくは自分が「ジョッキーってかっこいいな」という憧れに引っぱってもらった、助けられたという思いがあるから、今も馬に乗っているときに、人から見て「かっこよく見えること」というのを、すごく意識するようにしています。
だから、ふだんの仕事で馬に乗るときの服装とかもこだわるようにしてるんです。
若い子とか次の世代の子たちなど、他の人が見たときに、「あ、かっこいいな」って直感的に感じとってもらえる可能性を少しでも上げて、僕みたいな人が一歩踏み出そうとした時に助けになれたり憧れてもらえれるように。
人の心を動かす要素って、そういう感覚的に受けとる部分が大きいと思うから。
そんなふうに語るG1さんですが、確かに「これから馬に乗るぞ」というので仕事姿に着替えたG1さんが目の前に現れたとき、私自身、「おおっ、かっこいい! これぞ馬乗りだ〜!」と直感的に感じていたのです。
まわりを見渡すと、それぞれにラフな格好で働いている人が多かったので、「おっ!」と思わず目が止まる感じでした。
それで気になって服装について尋ねてみたところ、上記のように、乗馬用のジーンズやブーツを履いたりと、実は意識的に馬に乗っている姿やシルエットがかっこよく見えるように考えているのだ、という答えが返ってきたのでした。
もうひとつ、G1さんにお話をうかがっていると、くり返し飛び出してきて、とても印象に残った言葉あります。
それは、「365日、毎日馬に乗ってる人間じゃないと、絶対に分からないことがあるんですよ」という言葉です。
この言葉を何度も耳にして、「そりゃそうだよなあ、365日毎日馬に乗ってる人なんて、今この世界にどれだけいるんだろう? ひとつの道を追求したプロフェッショナルな人じゃないと出てこないし、言うことができない言葉だよな〜」と、ここでもまた、その職人的な言葉や姿勢に感銘を受けました。
そして同時に、その言葉はもしかしたら、中学生のときのG1少年が、「いつの日か、こんなことを言う大人になりたい」と思い描いていた、憧れの姿そのものを表しているのかもしれないな、と思いました。
「365日、馬に乗ってる人間じゃないと……」
今、そんなふうに語るG1さんを、13歳のG1少年はどんなふうに眺めるのでしょう。