お父さん
当時は、思春期の子どもを育てるということについて、ハーモニィカレッジの影響や力にすがっているような状態でもあったわけですから、親としての責任を放棄してるんじゃないか、という罪悪感も感じていました。
ですが、後年になって、テレビでアフリカのマサイの人々の生活を追ったドキュメンタリーを見ましてね。
マサイでは、男が成長期になったら家から離して、年頃の男ばかりを集めて、長老が率いて集団生活をさせるという習慣があるんだそうです。野生の世界で家畜や家族を守るための戦士としての修行を集団でするようすのドキュメンタリーをやっていたんです。
マサイといえば戦士タイプの民族ですから、特にパワフルですよね。だから、成長期の力のありあまった男を家庭で抱えることはできない、という生活の知恵が受け継がれているんだなと思いました。
それを見たときに、「ああ、自分たちのような在り方もありだったのかもしれないな、間違ってなかったかもしれないな」と思うことができたんですよ。
ですが、後年になって、テレビでアフリカのマサイの人々の生活を追ったドキュメンタリーを見ましてね。
マサイでは、男が成長期になったら家から離して、年頃の男ばかりを集めて、長老が率いて集団生活をさせるという習慣があるんだそうです。野生の世界で家畜や家族を守るための戦士としての修行を集団でするようすのドキュメンタリーをやっていたんです。
マサイといえば戦士タイプの民族ですから、特にパワフルですよね。だから、成長期の力のありあまった男を家庭で抱えることはできない、という生活の知恵が受け継がれているんだなと思いました。
それを見たときに、「ああ、自分たちのような在り方もありだったのかもしれないな、間違ってなかったかもしれないな」と思うことができたんですよ。
マサイの若者は、14〜15歳になると成人の儀式を行うとのこと。成人として認められるためには、ひとりでサバンナに出かけていってライオンを仕留めないといけないそうです。
大自然で暮らしているだけに、なんとも過酷な試練ですが、男の子は14〜15歳になると体にエネルギーがみなぎってくるので、適切に発散させないといけないということが本能レベルで理解されているために、その年代で修行生活に入らせるという習慣ができたのかもしれません。
(注:近年では動物保護の観点からライオン狩りの習慣はなくなったという報告もあるようです)
日本人だって同じで、13〜15歳の中学生くらいのころっていちばん体中にエネルギーがみなぎってくる頃です。
だからこの時期の子を親の力だけで育てようというのは、人間として当たり前に無理があることだというのは、よく分かるように思います。
「自分たちだけで育てられない」ということに罪悪感を抱く必要なんて、そもそもないんじゃないかなとも思います。
生き物の摂理として無理があることを、さらに無理を重ねてやろうとする必要はないんじゃないかなと。
「誰かに助けを求めることに罪悪感を抱く必要なんかない」
「抱え切れなくて当たり前のことなんだ」
という考えが、日本にももっと広まるといいなあと思います。
なぜなら、今の日本の社会って、親に責任を強く求めて、罪悪感を植えつけようとする面がすごくあって、子どもを育てる環境としても、すごく息苦しいところがあるように思うからです。
生物としてそもそも無理難題であることをやろうとしている、やらせようとしているんじゃないかなと思います。