「ああ〜、ちょっと一本ネジが外れてて、めちゃくちゃなことをできるタイプって感じですか?」
そう私が言うと、G1さんは手を打って言いました。
「そうそう! 人間の世界でも一緒ですよね。スポーツ選手とかミュージシャンとか、ちょっとネジ外れてる感じの人のほうが、すごいことやってのけたり、新しいこと思いついたり、結果を叩きだしたりするじゃないですか。馬もそれと同じようなところがありますが、そういう部分の中でも良い所を残しつつ、人に従順で、競馬でコントロールしやすい馬になるように育成していくのが重要ですね」
天井に激突するくらいの猛烈さで走る馬かあ……。競馬では強い馬を「怪物」なんて形容することがありますが、艶光りする巨体で猛然と突進する姿は、まさに怪物めいています。
それに引きかえ、ハーモニィの馬たちは、ちびっこがまわりをうろちょろしても、嫌がるそぶりもなくのんびりしていて、なんだか穏やかなお兄ちゃんやおじいちゃん、お母さんって感じだったなあと思い出されます。怪物とはずいぶんな違いです。
サラブレッドはだいたい2〜3歳でデビューし、5〜6歳頃には引退するのに対し、ハーモニィの馬たちは20年以上もこどもたちを背中に乗せてるので、より人間のことをよく分かっている状態ともいえるのかなとも思います。
自分はどっちのタイプの馬と気が合うかなあと考えると、怪物のような馬を乗りこなすところを想像すると「カッコイイ〜」と憧れは感じるものの、実際には一撃で蹴り飛ばされそうで怖いですから、こちらを傷つけないように気を使ってくれる馬の方がとっつきやすいのかなあとは思います。
人間でも、突出した才能を発揮するクレイジータイプな天才肌の人って、見てると興奮してシビレちゃいます。自分もあんなふうにクレイジーになにかやらかしたい! なんてイキがって真似したくなったりもします。
一方で、穏やかで優しい人に尊敬の念を抱いたりもするし、そうかと思うと、おっちょこちょいで失敗ばかりする友達といるときが、いちばんリラックスできたり、楽しかったりもします。凄い人じゃないけど、心から尊敬できる人もいれば、「凄い!」と感心や感動はするものの、尊敬はできないなあ、なんて人もいます。
思いめぐらすと、人の個性って実に多彩で、ひとりとして同じような人はいないんだな〜とつくづく感じます。
けれど、私が中学生くらいの頃は、「個性をのばそう」とか「個性的であれ」なんて言葉を聞くと、個性的な服装や行動をして目立つことが「個性的」ってことなのかなと思ってしまっていた気がします。
でも大人になってみると、「人間なんて、生きていれば、それぞれのもって生まれた性格や性質に合わせて、勝手に個性的になっちゃうよなあ」なんて思います。
まわりを見わたしてみると、人それぞれ性格も考え方も好みもちがう人がいっぱいです。
それなのに、成長する過程で、その「生きていれば勝手に育つはずの個性の芽」を、「みんなと同じように生きないといけない」という考え方に染められて、うまく発芽できなくなる、そんな社会の「圧力」みたいなものを感じて息苦くなっていたように思うんですよね。
その点、G1さんが選んだ、「中学校に行かない」という選択は、「みんなと同じ」という生き方とは大きく外れた生き方です。
中学生当時の私には、「中学校に行かない」なんていう選択肢がこの世にあるなんてこと自体を知らなかったし、思いつきもしませんでした。
今の時代でも、「学校に行かない」という選択肢があるなんて、想像だにできないでいる人や、「みんなと同じじゃない道」に進むことに不安や恐れを感じている人も、たくさんいるんじゃないかな、とも思います。