彼女に「お前がいちばん自分を差別してんじゃん!」 とブチ切れされて
この頃は大好きだったバレーもやらなくなり、最初の一年はせっかく入った部活にも出なくなるほど、内にこもった闇期でした。
きっと、「男として生きたい」とは思ったものの、男社会で生きていく自信がなかったんです。なぜかというと、ぼくにとって男といえば、お酒を飲んで暴れる父親のイメージしかなかったから。
父親みたいな人間になりたくない、家族を守らなくちゃと強く思っていたので、「父親に勝ちたくて、男になりたいと思ってるだけなんじゃないか」なんて悩みはじめて、アイデンティティが揺らいで自分が分からなくなったんです。
高校時代からの彼女と別れた後、大学でも彼女ができました。バレー部の後輩だったんですけど、でも他の部員や大学の友達にはカミングアウトはできていない状態でした。
そんなとき、大学3年になって就活準備のためのキャリア教育が始まったんですが、「リクルートスーツを着て来い」という指示が出たんですよ。
それまではジャージを着てれば良かったのに、スーツを着ないといけないとなって、また怖くなったんです。
「自分はレディーススーツは着たくない。でも、他の人たちの手前(カミングアウトしてないので)メンズスーツも着ていけない」と。
そこでまた、「自分は就職活動のスタートラインに立つための”練習”すらもできないのか」と思って、大学を辞めようかと思うほど塞ぎこんでしまいました。講義をサボって、家でうじうじとひねくれる日々でした。
当時の彼女とは半同棲状態だったんですが、彼女はそういう家に閉じこもってうじうじひねくれてるぼくの姿をずっと見てて、相当に我慢してたと思うんです。
そして、ある日とうとう……ブチ切れられたんですよ。
「お前がいちばん男らしさ女らしさみたいなことにこだわってるんだろ!」
「お前がいちばん自分を差別してんじゃん!」
「あんたはあんたなんだからさ、堂々と生きてけばいいんじゃないの?」
「私の身にもなれよ。私は男としてあんたを見てるのに、あんたがそんなうじうじしてたら私はどうすればいいの? 私の立場はどうなるんだよ!?」
めっちゃ怒鳴られました(笑)
すごい喧嘩になって、そのときは「くっそー」と思ったんだけど、よく考えたら彼女の言う通りなんですよね。
まだ誰にも性同一性障害のこと打ち明けてないのに、怖がって逃げてばっかりいたなってことに、気づいたんです。
彼女の言葉を聞き、思わず「お見事!」と拍手をしたくなってしまった私です。
彼女の言葉は一見厳しいようですが、剛速球のヒューマニズムを投げつけられたような心地がしました。
「差別されていると嘆く人は、その人自身が差別意識を持っている場合がある」という言葉を耳にしたことがあります。それは、自分のことを自分で「かわいそうな存在」とネガティブに捉えてしまっているような感じなのかもしれません。
私の知人で、生まれながらの障害のために車イス生活で、介護者がいないと生活できないという人がいましたが、積極的にどこでも出かける明るい人で、結婚もし、数年前に亡くなったときには、近所の人がお葬式に詰めかけてワンワン泣いた、という人がいました。多くの人が「〜さんに励まされていた」と語っていました。
なんだか私には、その人が、世間の人が障害を持った方に抱きがちな「気の毒」「たいへん」などのイメージを、はね飛ばしているように見えました。障害者という立場の本人自身に、自分に対するネガティブな意識が心の中に無いと、周りの人もその価値観に影響されて、「新しいものの見方」ができる目が開かれていくのかもしれないなと思いました。
そういえばセクシャルマイノリティに関しても、かなり差別的にとらえられていた時代と比べると、セクシャルマイノリティであることを公言して堂々と振る舞う先駆的な芸能人などが登場したことによって、差別心どころか、「かっこいいな」「あんなふうに生きたい」と憧れを抱く人や、励まされる人が登場しているように思います。
「曇りなく自分自身が自分を認めている」という状態になれたとき、人は自然に他者から重んじられるようになり、自分も他者を重んじるようになれるのかもしれません。
それにしても、リクルートスーツという個性を消すための衣服は、セクシャルマイノリティの当事者を苦しめ、多様性を抑圧するアイテムにもなってしまうのですね。
リクルートスーツが現在のような紺や黒で画一化されたものになったのは、一説によると2001年からのことだそうなので、かなり最近に生まれた風潮といえます。
ちなみに私は学生の頃、人間の個性を消すアイテムみたいに感じるリクルートスーツがどうも嫌で仕方なく、「自分が将来どういう仕事をしたいのかは全く分からないけど、リクルートスーツだけは絶対に着ないということだけは分かる」と思っていました。
将来の夢も何も見えていない中で、「リクルートスーツは嫌」というただ一点だけが、動かしがたい決定項としてはっきり見えていたのです。
結果的に作家になっているので、「〜が好きだ」という思いの他に、「〜だけは嫌だ」という思いの強烈さも、自分の道を見つけるための重要な手がかりになることを知りました。
私にとって、リクルートスーツはある意味で、進むべき道を示してくれた恩のあるもの、とも言えます。
さて、この彼女の言葉によって、いよいよ當山さんの運命が大きく動き始めます。