理論社

第10回

2020.09.15更新

自分の道を見つけたい! 第10回 ここいろ篇4

将来は水商売の仕事しかできないと思っていた。
リクルートスーツを着ることができずスタート地点にすら立てない日々

當山さん(あっきー) 當山さん (あっきー)
高校2年のときに初めてできた彼女とは3年半付き合いました。セクシャルマイノリティのことも、ネットでいろいろ調べてくれたり、すごく理解してくれる子だったんです。
ところが、そんな彼女にも、長く一緒にいたのに、自分の体だけはどうしても見せることができませんでした。

この頃は、進路や将来のことを考えてどんどん不安になっていった時期でもありました。なぜなら、ぼくは教師になりたいなと漠然と思っていたんですが、性同一性障害についてネットで調べると、お酒を飲む仕事とか、水商売に就いてる人のことしか出てこなかったんですね。
性同一性障害で教師やってる人なんて調べても出てこなかったんですよ。だから、やりたい仕事もできないんじゃないかと思って、将来がまったく見えない状態でした。
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當山さん(あっきー) 當山さん (あっきー)
そして大学受験を迎えるんですが、このときに「とにかく地元から離れたい」と強く思いました。
やがて男として生きていきたいという思いが芽ばえていたので、女として十何年も生きてきたことを知る人がいる地元では、もう生きていけないと思ったんです。
受験は、親には大学に行くお金は用意できないだろうと思い、自分で奨学金を調べて取得したりと、すべてのことを自分ひとりで調べて決めました。 それだけ必死になるくらい、誰も知らない土地に行って、「人生をやりなおしたい」と思ってたんですね。

この時期に事件があって、ささいなことで妹と喧嘩になったんです。するとヒートアップした妹に、「女のくせに女が好きで男の格好して、気持ち悪いんだよ!!」と言われたんですよ。
妹は薄々ぼくが男になりたがってるのを気づいてたみたいなんですね。ぼくも爆発して、激しいバトルになりました。

その後、離れた土地の大学に入学して実家を出たんですが、毎週実家に帰っても妹に無視されるという、冷戦状態が半年続きました。「これはまずいな」と思ったぼくは、妹をドライブに誘ったんです。
そしてそのときに、妹にカミングアウトしました。家族に言ったのは初めてのことでした。すると妹は「ひどいこと言ってごめん」と言ってくれて、それ以来、めちゃめちゃ応援してくれるようになったんです。

「性同一性障害の人は、水商売以外の仕事に就けない」と思っていたという當山さん。
実際には、当時もさまざまな職場で性同一性障害の方が働いていたと思いますが、今よりもさらに認知度の低い10年前には、オープンに語る人はいなかったのですね。

かつて知人が、性同一性障害に苦しんでいた思春期に、ネットで「レズビアン」と検索すると、男性向けのAVのエロ画像しか出てこなくて絶望した、という話を聞かせてくれたことがありました。 自分について知りたくて藁にもすがる思いで探しているところに、自分が性欲の対象でしかないかのような印象の情報ばかり突きつけられる状態。当時のその子の暗澹たる気持ちを想像すると、社会がいかに暴力的な態度を無造作に放置しているかということに気づかされます。 「嫌だ」という「声」をあげる人がいなければ、その暴力性は認識されないまま野放しにされます。

私自身、3年ほど前にレズビアンのパーティに参加してみたいと考えてネットで検索をするまで、「レズビアンについて検索するとアダルト情報しか出てこない」ということに気づきすらしていませんでした。
2020年の現在は、ネットで「レズビアン」と検索すると、男性向けのAV画像ではないものが多数出てきます。少しずつ、社会も進歩しているのですね。

さて、新しい土地で人生をやり直そうとした當山さんですが、その道は一筋縄ではいかなかったようです。

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