(あっきー)
そのときに初めて、性同一性障害という言葉を知りました。
そして、その子が性同一性障害とはどういうものかも教えてくれて「自分はこれからは男として生きるつもりなんだ」と伝えてくれたんです。
「これだ!!」と思った瞬間でした。
そこでようやく、自分の抱えてきた状態がどういうものだったのかということが分かって、ぶわ〜っと線が繋がったんです。
その子はすでに診断書ももらっている状態だったんですが、なぜその子がぼくに声をかけてきたかというと、「男女どちらの制服を着てもいいように、校則を変えたい」という目的があったからなんです。それで学校に訴えるには仲間を増やしたほうがいいと考えたんですね。ぼくに対して「同じにおいがする」というのをキャッチしてくれたみたいで。
男の制服を着られるようにする、という話を聞いたとき、「絶対に着たい!」と思いました。それで、校長に直談判をしにいったんですよ。すると、校長先生はぼくらの話に真剣に耳を傾けてくれて、2年生の冬には、男女どちらの制服も着られるように制度を変えてくれたんです!
高校自体が男女の壁もあまりない、自由な校風だったので、男子の制服を着て学校に行っても変なことを言われることもなく、友達は男子も女子もみんな「めっちゃ似合うじゃん!」「セーラー服よりぜんぜんいい!」って言ってくれましたね。
男子の制服を買うときも、母親は特に何も言わず買ってくれました。小さい頃から男の子の服ばかり着ていたので、スカートを嫌がっているのは分かってたんでしょうね。
ただ、この時点ではまだ親には性同一性障害だというカミングアウトまではしていません。
学校生活では、高校2年のときに初めて「彼女」ができました。この子はぼくのことを男として好きになってくれた子で、大学2年まで付き合うことになります。
當山さんの高校時代というと10年以上前のことですから、LGBTQに配慮した制服制度を取り入れたというのは、全国でも非常に先駆的な取り組みだったのではと思います。
それにしても、生徒の訴えに真剣に耳を傾けてくれた先生、「セーラー服より似合ってる!」と言ってくれた同級生たち、素敵だなあ。聞いていて胸があたたかくなりました。
10年前で、これほどすんなり受け入れられたというのは、かなり幸運なケースかもしれません。
だって、2020年の現在で、LGBTQに配慮した制服制度を取り入れた学校が増え始めたことが、ようやくニュースに取り上げられているような状況ですからね。
10年前に當山さんの友人がひとりで声をあげたことは、10年後の今、全国に波が広がるきっかけのひとつになっていると思います。ひとりひとりの声が、やがて大きなウェーブになるのですね。
また、當山さんのお母さんは「男子の制服が着たい」という當山さんに対して「え! あんた男の制服着るの? あ、そう、ふーん」というくらいの反応だったそう。この呑気で軽い感じ、なんともいいなと思いました。
自分自身がなにかを深刻に悩んでいるときに、深刻にならない態度の人がそばにいると、「たいした問題じゃないんだ」と思えて、ほっと息つぎができる空間が生まれます。
親が「深刻になりすぎない」という状態って、さまざまなシーンで子どもにとっての救いとなる、重要な態度かもしれないなと感じます。
ところで、「自分は性同一性障害なんだ」と知り、初めての彼女もできた當山さんですが、「自分を知る」という点では一つの決着をつけられたものの、後に、その気づきによって新たに生まれた大きな不安と対峙していくことになります。
そのことについては、次回に詳しく尋ねてみたいと思います。
さて、今度は高畑さんの恋愛についてのお話です。