家では喧嘩の声にビクビクし、外では悪さをする日々。
胸が大きくなり、生理があることを誰にも知られたくなかった。
さて、次は女性の肉体に生まれたものの、性自認は男性だったという、當山さんの子ども時代〜思春期のお話を聴いてみましょう。
(あっきー)
だから、小さい頃の記憶といえば、深夜に二人の妹とぼくだけで家にいたことや、日中は喧嘩の声におびえて、ずっとビクビクして暮らしていたことを思い出します。
で、ぼくの場合、小学校低学年くらいまでは性の悩みってなかったんですよ。ずっと男の子みたいな格好してて、服も男の子の服を自分で選んで、「これ買って」と親のところに持っていって買ってもらってて、親もそれについて何も言わなかったんです。
「ボールが友達だぜ!」みたいなスポーツ大好きっ子で、小1からバレーを始めました。バレーをやらないときは、野球かサッカーをして、小さい子から大人まで、年代ごちゃ混ぜになって近所の公園で遊んでました。
暮らしていた地域自体が荒れてる地域で、小1のときに小6の女子の先輩に誘われてバレーをはじめたんですけど、その子が悪さもする子で、いっしょに連れ回されて、ゲーセン行って機械に手をつっこんでコインをとったりしてました。
土日にいっしょに遊んでくれる子がその子だけだったんで。その子が卒業しちゃったら、後はずっとバレーばっかりやってました。
當山さんも、高畑さんとはまた違った形で、安心感を持てない家庭環境の中で子ども時代を過ごしたようです。
夜勤明けのお父さんは日中は寝ているので、うるさくして起こすと殴られたとか。そういった父親との力関係からも「男らしさ」を強く求めるようになっていった面があったのかもしれない、と回想します。
當山さんの暮らしていた地域自体も荒れていたそうで、小学生時代は一歩まちがうとグレた道に向かいかねない状況でもあったようですが、他の人をいじめることはしなかったとのこと。
「自分が辛い状況を抱えていると、そのストレスが他人をいじめる方向に出る人もいますが、そうならなかったのはなぜ?」と聞くと、「他人はいじめなかったけど、自分のことはめっちゃいじめてましたよ。カッターで腕に傷を付けてみたり、自分を傷つける方に向かってましたね」とのことでした。
セクシャリティに関しては、性自認が男性だった當山さんは、男の子の格好をして男の子の遊びをしていても問題の起きない年齢までは、高畑さんのようにモヤモヤを抱えずに済んでいたとのこと。
親からは「男の子の服を買っても何も言われなかった」という當山さん。どうもお話を聞いていると、喧嘩が絶えないなどの問題はありながらも、ご両親のそういった放任主義な面は、當山さんにとっては良い方向に作用したのではないか、と感じました。
親によっては、子どもがその性別に合う格好や趣味をしていないことが許せずに、男の子には青い服、女の子ならピンクの服、と押しつけることもあるのではないでしょうか。
セクシャルマイノリティバー参加者の親御さんにも、我が子が、性自認が一般と違うということを訴えてきたときに、受け入れることができず、「ネットなどで得た知識に感化されて、そう思い込んだだけなんじゃないか」と一時期は考えた、とお話された方があったそうです。
LGBTの概念そのものが世の中に広まっていない時代は、「男が男らしく、女が女らしくないことは恥ずかしいこと」と思われ、それが「常識」と考えられた時代が長く続いてきました。「常識」だと思っているために、「自分の考えのほうを変える必要があるかもしれない」と気づくことに時間がかかってしまうということは、誰にでも起きるのではないでしょうか。
「常識」とは、社会が民衆にかける一種のマインドコントロールであるかもしれない、と思うときがあります。時代によって「常識」って驚くほど変化していますしね。
そして、現在もまだまだそういった「常識という思い込みの鎖」がいろんなところにひそんでいて、ほどけきっていないところがあるように思います。