「普通」でいたくて、男の子を好きなふりをした。
人はなんで生まれてなんで死ぬんだろうとずっと考えていた。
人はさまざまな要因で、子ども時代に、「自分は他の子とちがうかも?」「普通じゃないかも?」という思いを抱くことがあります。原因は家庭問題や性格の問題などさまざまだと思いますが、そもそも人はどうして、「普通じゃない」「みんなと違う」ということに、こんなにも恐怖や不安を持つのでしょう。
そういった恐怖は、「普通じゃないと幸せになれない」「みんなと違うと差別されたり虐められたりする」「人より下だと恥ずかしい」などといった強い思い込みに囚われているせいで起こるのではないか、と思います。
けれど本当に、普通じゃないことや、みんなと違うことは、「=幸せになれない」という結果に至るのでしょうか?
この連載では、「みんなと違う」「普通じゃない」「一般的に良いとされている状態ではない」という地平から世界を眺めたときに見えてくるものについてもうかがい、答えを限定せずに考えをめぐらしていきたいと思います。
當山さんと高畑さんも、子ども時代から長く、「自分はみんなと違う」という違和感を抱え苦悩し続けてきたようです。
まずは、性自認はXジェンダー(中性)で、好きになるのは女性という高畑さんのお話からご紹介したいと思います。
ちなみに高畑さんは自分について「女性とも男性とも言えない気がする、現在は中性と言い切るのがしっくりくるかな」と思っているそう。「レズビアン」と表現してしまうと「女性と女性の恋愛」ということに限定されるので、その表現も違うかもしれない……と感覚に複雑な揺れがあるそうです。
自分の性別や、好きになる性の感覚って、生きている過程である時ふいに変化するなど、かなり揺らぎや自由度のあるものなのかもしれません。
そういえば私自身、自分が女なのか何者なのか、よく分からなくなるときがよくあります。「女性の心も備えているおじさん」くらいの感じが、どうもするんですよねえ。思春期のころから、本当はおじさんだったんじゃないか、という気すらします……。
「女だ」と言い切るよりも、「よく分からない」という姿勢を自分に許すのは、自由さがあるんじゃないかなあ、とも感じます。
(さーちゃん)
仲良しの子とウンテイで遊んでいたところ、その子が落っこちて転んだんです。足の悪い子だったので、心配して慌てて駆け寄ったら、パンツが見えたんですね。それを見た瞬間に、ハッとして、ドキドキしたんです。
なんでこんなにドキドキするんだろうって、もやもやして……。
私も5歳くらいの頃に、サンリオのキキとララの人形をくっつけてチューをさせてドキドキしたり、年下の女の子とお医者さんごっこをしてドキドキしたりしていたので、高畑さんのお話がよく分かりました。
私は絵本作家という仕事柄、小さな子ども達と接する機会もよくあるのですが、3〜5歳くらいの子たちって思いがけず色っぽいことに関心を示します。体感的には、人間のいわゆるリビドー(性衝動)って、かなり低い年齢から発動するように感じています。
性的なことに関する知識がまったくない幼児期に、性的なことにドキドキする状態が現れるということは、人間の性に対する欲求が、「生殖を目的とする生存本能」にばかり由来するわけではないことを示しているような気もしてきます。