理論社

2020.06.15更新

自分の道を見つけたい! 第4回

大堀貴士さん(シュート) 大堀貴士さん
(シュート)
寄宿塾では、朝にいつも「ヒロシアワー」という時間があるんよ。それで、ヒロさんが適当な話題をみんなに振って「どう思う?」と尋ねるねん。

星のこととか、社会問題とか、その日その日でいろいろな話題をみんなで話し合う中で、誰かがなにか言うと、ヒロさんが「いいねえ、ちょっとそれ、調べて教えてよ」とか言う。すると、「じゃあ、午後からはみんなで図書館行ってみよか」なんてことになって、調べ物をする。

そんな流れの中で好奇心が動く事が出てきたりして、すると「じゃあ、それを知るにはどういうことが必要かな」というところからだんだん入って行く。その子の興味や関心をまず掘り下げて、「そういうの興味あるんやったら、あそこに行ってみる? あの人に会いにいってみようか?」と一緒に調べたりする。

すると寄宿生のほうから「中学行ってなくても、高校や大学行けるかなあ?」といったアプローチが出来てきて、興味に合う高校や大学を調べたりする中で、「その学校に行くにはこの科目が必要やから、じゃあ、このドリルちょっとやってみる?」という具合に、勉強の仕方を一緒に探していく感じかな。

「興味の対象から学ぶ必要のあることを掘り下げる」というのは、万遍なく基礎学力をつける学校方式では採用しにくい方法ではないかと思います。
こういった方法が合う人と合わない人とがあると思いますが、G1には合っていたようで、その後G1は馬術部のある高校に進学したくなり、勉強を始めるようになったそうです。

お話を聞いて特に興味深いなと思ったのは、もしも私自身が「興味のあることから先に掘り下げて、そこから学びたいことを自分で選んでいく」という教育方法の中で育った場合、いったいどんな人間になっただろう? ということです。
私だったらきっと、数学の「サイン・コサイン・タンジェント」などは、存在すら知らない状態で大人になったと思います。その代わり、他の学科の習得度が飛躍的に伸びたかもしれません。

なにせ私は、数学の授業は寝てばかりで先生のギャグしか覚えておらず、テストでも4点なんて点数(4コマ漫画を描いておめこぼしの点数をもらったので実質0点)を取ってた位だったのです。先生のギャグのおかげでサイン・コサイン・タンジェントは意味も知らないのに言葉だけは強烈に覚えていて、今でもなぜか年に数回は無意味に思いだして笑っているので、ありがたいといえばありがたいのですが……。そして歴史の授業は大好きだったので、目をキラキラさせて聞いていました。

ちなみに中学、高校と私は数学や科学などのいわゆる理系の科目が大嫌いでした。ところが社会人になると、自然科学や天文学、物理の数式や化学実験などにがぜん興味が出て、あちこちの講座に出かけてはキラキラした目で話を聞き、せっせと自然観察記録なんて付けるようになりました。「自分の生きる宇宙や地球や自然について知りたい」という気持ちが湧いたあたりから、理系にも学習意欲がぐいぐいと湧きだしたのです。

ひょっとしたら人間って、人それぞれ「なにかに興味が湧く時期」に個性差があるんじゃないかな? もしもその人それぞれの興味関心の赴くままに学習していくような教育法だったら、湯水を飲むように知識が脳や体に沁み込んでくる、なんてことはないかなあ、と考えてしまいました。
子ども時代の柔軟な頭脳と多くの時間を、万遍ない一律の授業を受けるのではなく、好きなものや得意なものに特化するような使い方をしていたら、どんな状態になっていたんだろう?

なんだか教育法って、まだまだ試されていない可能性がいっぱいある分野だという気がします。近ごろは学校教育が柔軟に変化していく場面にも出会うので、未来の教育、楽しみな方向に発展して欲しいなと思います。

さて、G1のケースはもともと馬好きというのもあってハーモニィカレッジと相性が良かったと言えそうですが、寄宿塾時代、難しさを感じたこともあったのでは? とうかがってみました。

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