子どもたちが最も覚醒するのは、馬が亡くなるとき
懸命に生きようと闘う姿が教えてくれるもの
取材でハーモニィカレッジのポニークラブに来ている子たちに話を聞いてみたところ、みんな「馬に伝わる」という実感を強く持っているようでした。
「体を綺麗にしてあげたり、ケアを丁寧にやった日は、めっちゃ馬がよく走ってくれるねん! ぴょーんって障害物も調子よく越えて、気持ち良さそうに走るよ」
興奮した様子で、多くの子が馬との関係で得た手応えを語ってくれました。
馬のケアは、蹄のケア、ブラッシング、エサやり、汗を流してやるなど多々ありますが、心を込めてケアをした日とそうでない日では、明かに馬の走りが違って、上手く乗れるかどうか、言うことを聞いてくれるかどうかも違うのだそうです。
「マームっていう馬は気位が高くてクセが強いから、なかなか言うこと聞いてくれへん。でも一所懸命お世話すると、めっちゃ応えてくれる馬やねん。だから面白い!」
言葉ではなく、馬という生き物の全身の運動、躍動感から伝わってくるものがあるのですね。
中学2年生のサナさん(仮名)は、小学校時代に嫌なことがあり、人間嫌いになったそうです。人間と話すのは嫌だけど動物なら、とハーモニィカレッジのポニークラブに通うようになります。
サナさんははじめ、人とは関わらず馬とだけ向き合っていたそう。だけどなかなか馬が思い通りに動いてくれない中で、「こっちが要求するばかりじゃなく、馬がなにを求めているのかを考えるようになった」のだそう。
そうやって馬と向きあっていると、世の中にはいろんな人がいて、相手に変化を求めるだけじゃなく、相手の気持ちを感じることも必要だということが分かってきたと言います。
「馬を見てると、機嫌が悪いときと楽しいときとで、違うのが分かるよ」
「言葉じゃないけど、受けとれる。耳の向きとか目の感じとか、なんか分かるんよ」
馬のことが分かってきたサナさんは、だんだん人にも興味が出て来て、ポニークラブの子たちとも楽しく過ごすようになり、今では学校も楽しんでるそうです。
それでも、馬との静かな時間はやはり格別なようで、「乗るのも楽しいけど、お世話したり、寄り添う時間が好き」「馬とおしゃべりしに来てるって感じ」とのことでした。
(シュート)
例えば犬は、「よーしよし」と、こっちからワシャワシャ撫でにいくと喜ぶやん? でも馬は臆病やから、犬にするように前のめりに向かって来られるのは嫌がるんよ。ふいっと避けられたり、怯えて暴れたり。すると「ああ、そやった、お前ってそうやったよな」と、こちらも加減を覚えるよね。
そして馬たちは亡くなるときにも、子どもたちをぐいっと大きく成長させてくれるねん。あんなに大きな生き物が、普段背中に乗せてくれてた生き物が、倒れて苦しんでるとなると、子どもたちは必死で看病するよ。徹夜して見守ったり、順番で様子見に来たり。
亡くなると、みんなで囲んで、子どもも大人も一緒になって号泣する。
馬は懸命に病気と闘って、必死で生きようとする姿を見せてくれる。そういう姿を見ていると、子どもたちの奥深くにあるものが覚醒するというのかな。
最後の最後まで馬たちは、子どもたちになにかを教えてくれるねんな。
馬がその身の最期に見せてくれる姿は、「言葉ではないからこそ伝わるもの」の究極の形であるように感じます。
命が「生きよう」ともがく姿を見ると、人はショックを感じると共に圧倒されて、自然に命そのものへの敬意が胸に溢れるのではないでしょうか。その衝撃は、他者の命を敬う心を育むと共に、なによりも自分自身の命の大切さと儚さを思い出させてくれるように思います。
儚い命と知ればこそ、懸命に生きようという意欲を、人は持つのではないか、とも思います。