「それでいいんだよ」という口癖
できても、できなくてもいい
ハーモニィカレッジの寄宿塾にいた子たちは、今や社会人になっていて、中には会社の経営者になっている人もいます。全国に散らばった元寄宿生と飲みにいったりと、今でも連絡を取りあっているとのこと。
小学校からずっと人気者街道を歩んできた熱血漢タイプの大堀さんは、「内に閉じこもる子の気持ちを理解できるようになったのは、寄宿塾に来てからやなあ」と言います。ヒロさんの存在が、子どもたちとの接し方についての価値感を大きく変えたようです。
不登校の子たちが、心を開いていった理由とはなんだったのでしょう?
(シュート)
何があっても、その人の存在そのものを受け入れるという、なんか、悟った仙人みたいな雰囲気の人やってなあ。
例えば、オレはハーモニカレッジにスタッフとして入ったとき、ほとんど馬なんか乗ったことないし、馬の世話の仕方も道具の付け方も、ぜんぜ知らん状態やったんよ。一応スタッフやから、子どもたち以上に出来る状態じゃないとって思うやん。それでヒロさんに「ちょお、ヒロさん馬のこと教えてよ」って頼むのね。
するとヒロさんは、「いいねえ、シュート、そういう気持ちが大切だね」とか言うだけやねん(笑)
オレは肩すかし食らうわけよ。「いや、そういうんじゃなくて、オレは安全管理とかもせなあかん立場やし、ちゃんと教えてほしい!」と言う。
するとまた、「いやあシュート、そういうのが、本当にいいねえ。そうやってシュートがやる気を出すから、見てよ、あの子たちの目がキラキラしてるよ」とか言う。
だから、そうじゃなくて教えてよ! とこっちは思うねんけど(笑)
オレはちょっとイライラしたけど、結局、馬について教えてくれたのは、不登校で寄宿塾に来てる中学生の子らやったんよ。 彼らも技術的にしっかり言葉にできるわけじゃないから、教え方は「こんな感じ!」とかやねんけど、あの手この手で、必死に教えてくれるのよ。
最初、オレはスタッフなんだから、子どもたちの面倒見る立場だと思ってるし、ちゃんと技術や知識を身につけたいと思ってた。でもヒロさんはきっと、「スタッフ(大人)だからって教えるんじゃなくたっていいんだよ」ってことを伝えてくれてたんだと思う。
一緒に学んでいけばいいんだよ。子どもが大人に教える立場になったっていいんだ。できるようになったことを一緒に喜んで、それでいいんだよってことを、ずっと伝えてたんやなと。
渦中にいるときは、オレは、「ぜんぜん良くないよ! ヒロさん教えてよ!」って思ってたけど、今思うと、自分でもがいて自分の力で学ぶことができたし、子どもたちもすごいやる気になって応援してくれて、必死で教えてくれたから、それで良かったんやなあと。
馬に乗れるようになること、上手くなることが目的じゃなかったんよ。ヒロさんは「プロセスの中で育つもの」を大切にしてたんだなと分かった。
そういう「できてもいいし、できなくてもいい」「それでいいんだよ」という承認があるという安心感がすごくあったなあ。 不登校の子たちは、「できたら誉められて、できないと怒られる」という体験を重ねてきた子たちやから、最初はヒロさんのそういう態度に、オレがそうだったように、肩すかしを食らうんやけどね。
でもその「できても、できなくても、それでいいんだよ」という承認があったことが、不登校の子たちが、オレらのことを好きになってくれて、信用してくれたことの根っこにあるんじゃないかなと思うなあ。
「できても、できなくてもいい」
この言葉、実は私にとってとても深く考えさせられる言葉で、考えているとボフボフと知恵熱が出て、汗びっしょりになったほどでした。それだけ人という存在にとって、なにか重要なことが入っている言葉だという気がしたのです。
寄宿塾に来る前の大堀さんは、なんでも人より「できる」という誰からも信頼されるリーダータイプの方でした。そんな大堀さんですが、もしも馬について教えることが「できる」という状態で寄宿塾の子たちと出会っていたとしたら、寄宿生たちの「この人困ってるから助けてあげなくちゃ!」「教えてあげなくちゃ!」というやる気や親切心、大人をリードできるという誇らしげな様子や、「なんか全然できないし、先生っぽくないなあ」という近い目線で接してくれる様子は、見ることはできなかったんだろうなあと思います。寄宿生たちと共有する時間が、まったくちがった質のものになっていたんじゃないでしょうか。
そう考えると、「できる」という状態は、「できない」という状態が見せてくれる「なんだか良いもの」を、見たり体験したりできない状態、ということなんだなと思いました。もちろん逆もまたしかりで、「できない」状態のときには「できる」という状態から見える景色を決して眺めることはできないわけです。
ということは、「できる状態」の経験も、「できない状態」の経験も、どちらにも多くの意味や味わいや喜びがあるってことじゃないか、とも思います。
「できる状態」と「できない状態」の価値の大きさって、本当は同じくらいどちらも大切なんじゃないかな。
それなのに私たち人間は、どうしてか「できる」という状態の価値や良さ、格好良さにばかり目がいきがちになっていないでしょうか。
ここまで考えて、私はふと、自分についてこんなことを考えました。
「もしも、今自分が大好きで得意な、絵や物語を創作することが『できない』状態になったら、どうだろうか?」
「例えば、事故などで失明したり、腕がうごかなくなったりしたら?」
頭では、「できる状態でも、できない状態でも、私はどっちだって人として存在価値があるんだし、どっちでもいいんだ、それでいいんだ」と考えることはできます。だけどそれは、頭で考えただけの「おりこうさんな答え」というだけな感じがします。
実際には、とても苦しんで嘆き、絶望もするんじゃないかな。泣きわめいて、周囲に当たり散らしたりもするかもしれません。
それでもだんだん落ちついてくると、ひょっとしたら「できない」という自分の状態をゆっくりゆっくり受け入れていけるのかな……。「それでもいいんだよ」と、自分にじんわり言い聞かせることができていくのかな……。
そうなったとき、いったい私は、そこにどんな景色を見るのでしょうか?
そのとき見られる景色は、今の「できる状態」の私には、到底見られず、感じられない景色なのだと思います。
ということは、さまざまなことについて「できない」という状態の人は、それが「できる」状態の私が知ることのできない「なにか」を、深く広く知っている、という人たちなんじゃないかなあ……。
そんなことを考えたのでした。
「できても、できなくても、それでいいんだよ」とよく言っていたというヒロさんは、どんな思いでこの言葉をくり返し語っていたのでしょう。
私は20年前に一度だけヒロさんにお会いしていますが、そのときはロッキングチェアに座って本を読む姿をちらりと拝見し、簡単な挨拶をしただけでした。
「できても、できなくても、それでいいんだよ」
この言葉の意味について、お話をうかがってみたかったなあと思いました。
そしてこの「できても、できなくても、それでいいんだよ」という言葉については、この後に大堀さんが障害を持った子たちについて語ってくださるのを聞く中でも、ふたたび思い返すこととなるのでした。
さて次回は、突っ走りがちな熱血タイプだった大堀さんが、ヒロさんのゆったりした態度から不登校の寄宿生達への向き合い方を学んでいったようすについてうかがいます。
ぜひ読んでいただけますと幸いです。