「できるかどうか」は分からない
でも「やるかやらないか」なら、オレはやる!
(シュート)
「地域の公園みたいに、子どもたちが自分の足で来られる近い場所、そこに馬がいる、そういう小さな場作りが全国に広がるといいなと思うんだ」
「家や学校以外の、安心して過ごせる場所、子どもたちの居場所を作りたいんだ」
「教える学校じゃなくて、共に学ぶ『共学の楽校』なんだよ」
そんなふうに熱っぽく語るヒロさんの姿を見ていると、オレは無性にワクワクした。
そういうワクワクした表情で未来の夢やビジョンを語る大人に出会ったことがなかったんよ。
それまでオレの周りにいた大人は、「大学を出たら自立して、人に迷惑をかけないで、経済を産みださないといけないよ」といった事を言う人ばっかりやった。オレ自身も「大人なんだから」「男なんだから稼がないといけない」と思い込んで生きてきた。
ヒロさんと出会って、そういった「枠」の外側にいる人にはじめて触れてんな。
それまでも就職活動と称していろんな大人に会いにいって、お茶してもらって、話を聞いたりしてたけど、ヒロさんはピカイチに楽しそうやった。輝いて見えた。
ハーモニィカレッジで出会った子どもたちは、なぜあんなにイキイキしていたのか?
その理由を考えてみたけど、高価な設備とか、そういうものがあるからじゃないし、いい教材があるとかでもないし、一流の先生がいるから、とかでもないんよね。
そのことに興奮したオレは、帰ってからいろんな人に話して、自分はそういう仕事をしたいんだって言うんだけど、大人たちにはぜんぜん話が通じなかった。
「まあ、ボランティアでやるんだったらいいけど」とか、「立派な事かもしれないけど、そんなのは続かないよ」とか言われる。
「きみは騙されてるんだよ」と教授に説得されたことは今でも忘れない。
「若者にいい部分だけ見せてるんだよ」「そんな仕事では生活していけないよ」と、ほとんどの大人には批判された。
一部上場企業の内定ももらってて、初任給もめっちゃ良かったし、留年したせいで親にもお金で迷惑をかけてたから、経済的に安定する方に行ったほうがいいのかなとも考えた。親も、「きちんとした企業で働いて、そういう活動は余暇に趣味としてやればいいじゃないか」と言ってたし、オレも、確かに夢だけじゃ生活できへんしなと、なんとか自分を納得させようとしてたんよ。
そのときオレは、
「ワクワクした表情で夢を語るヒロさんみたいな大人がいる」
「でもほとんどの大人は、ヒロさんみたいな生き方を批判する」
「一方で、そんなヒロさんを応援する地元や周囲の大人たちみたいな人もいる」という状況を眺めていた。
人って、自分にできないことをやってくれてる人を見ると、応援したくなるやん?
ヒロさんは、多くの大人たちがしたくてもできないでいることを、やろうとしてる人なんじゃないかなと思った。パイオニアじゃないか、と。
そうやって揺れてた時期に、例のネイティブアメリカンの「あなたが生まれたとき、周りの人は笑って、あなたは泣いていたでしょう。あなたが死ぬときは、あなたが笑って、周りの人が泣くような人生を送りなさい」という言葉に出会った。
「これだ!!」と心が決まった瞬間やね。ヒロさんは絶対にこの言葉のような死に方をする人やって、確信できたから。
オレだって、一回しかない人生、親のために生きるわけじゃないよな、と。
確かに、できるかどうか、続けていけるのかどうかは分からない。でも、やるのかやらないのかでいったら、オレはこういう生き方を選ぶぞっていう、「自分の人生のゴール」をそのときに決めたんよ。
まるでプロミュージシャンへの道を夢見る少年と、「世の中は甘くないぞ」と諭す大人たちといった構図です。
この時点では、ハーモニィカレッジで働けるという話はまだ出ておらず、漠然と「ヒロさんのような大人になりたい」とだけ考えていた大堀さんですが、やがてヒロさんから「一年間、一緒にやってみないか?」という誘いを受けます。
「給料とか休みとか、なんにも聞かずに、やるって即答したよ」とのことですが、そのときの条件が、「食住付きの、月5万円」というものでした。大堀さんは「大学時代のラーメン屋のバイトのほうがもっと稼いでたわ」と笑います。ヒロさんと働けることのほうが嬉しくて、まったく気にならなかったそう。
現代でも「それはきみ、騙されてるよ」なんて声が聞こえてきそうな話ですが、それから20年以上の月日を大堀さんは子どもたちと向きあって生きてきた訳ですから、当時の大人たちの「続けられないよ」という見立ては覆したといえるでしょうか。
「親のために生きるわけじゃない」という言葉が胸に刺さる方も、ひょっとしたら多いのではないでしょうか。
自分は誰の意見で自分の道を決めているのだろう。自分か? それとも、他の誰かか? 親か? あるいは世間か?
私も生きていて何度も道に迷っていますが、道に迷うときは大抵、「自分の心の声以外のもの」の声を聞きすぎている時のような気がします。
ちなみに私自身は、大学生の就職活動時期になにを考えていたかというと……。
芸術学科に通っていたので、「卒業したらアーティストとして適当に生きて、30代半ばくらいになったらゴッホみたいに耳切ったりすればいいんじゃないの?」と、アホみたいですが、真剣にそんなことを思っていました。
耳を切るなんて根性は当然私にはないのですが、「ゴッホが有名になったのは耳を切ったエピソードのインパクトが強烈だからでは?」と思っていたので、有名な芸術家になるには耳くらい切らないといけないのではと考えていたのです。すごくバカっぽいですが、青春時代の謎の思い込みって誰でも案外こんなものなのかもしれません。(そんなことないか……)
あまりにも世間ずれした私では、そもそも安定した道に行ける可能性自体が存在しなかったせいか、周りに説教を聞かせてくれるような大人もいませんでした。誰にも期待されてなかったので、気楽だったとも言えます。そしてリクルートスーツは一度も着ることなく、就職活動もしませんでした。
ずいぶんデタラメな人間ですが、それでもゴッホの没年を越えた現在まで、なかなか楽しく生きられているので、人生どうなるかなんて誰にも分からないものだと思います。
このときの私は、「アホみたい」であるとはいえ、世間でも親でもなく、自分の心の声だけを聞いていた状態だと思うので、真面目に将来を考えていた大堀さんと比べると酷いものではありますが、「世間一般の価値感より自分の価値感を採用した」という点では同じだったのかも?
ちなみに、その後に仕事で実際にさまざまなアーティストに会うようになっていくと、アーティストにはむしろメンタルがタフで自由で柔軟な、ゴッホとは真逆のタイプも多いことを知るようになりました。やたら若々しくて長生きな人がたくさんいます。