「とにかく金を稼ぐ人間になるぞ」と思っていた学生時代
20年前の私が知る大堀さんは、背が高く運動ができて、頭もよくて男前、おまけに話せば笑いも取れるという、男も女も誰もが憧れるリーダーといった雰囲気の方でした。聞けばやはり、子ども時代からクラスでも目立つ人気者タイプだったようです。そんな大堀さんが、対極のタイプも多そうな不登校の子たちと共に歩むことになっていった道のりに興味が湧きます。
(シュート)
今みたいにゲームしたりマンガ読むとかじゃなくて、名前のない遊びをしてた。 用水路を源流までたどって行くとかさ。街でも自然の中でも、自分で遊びを生み出すことに夢中やったな。
知らないことを知りたい、未知の場所を探検したい、なにもないところからその辺にあるものを使ってなにか作りたい。そんな衝動で動いてて、めちゃめちゃ楽しかった。
オレらが子どもの頃は携帯もなかったし、親たちは忙しくて、たいして子どもにかまってられなかったんちゃうかなあ。GPSで居場所を探せることもないし。だからかな、「大人がおらん場所、大人の目が届かない子どもだけの世界」が、今よりいっぱいあった気がするよ。
今はものすごく親の責任を問う世の中になってるかもしれないね。安全安心じゃないとという緊張感が強くて、スマホで位置情報を追ったり、子どもが道くさするなんてことも難しくなってきてるね。便利にはなったけど、遊びに余白がなくなったところがあるかなあ。
「いったいあの道のずっと先には何があるんだろう?」 そんな思いで街の向こうを眺めていた子ども時代を思い出します。子どもの頃は町内が巨大な世界に感じられて、どこもかしこも未知に溢れて、空想や冒険の種が転がっていました。
そんな子ども時代の「なにもないところからワクワクを見つけ出す楽しさ」が、大堀さんの活動の原点になっているようです。
昔は生活の場が冒険的だったというよりも、いつの時代であろうと、子どもは自分の身のまわりのどんな場所にも冒険があることを「すでに知っている」ところがあると思います。「子ども」という存在は、元来そういった感覚を備えているように思うのです。
この子ども時代の強烈な感覚は、私にとっても絵や物語を描くときの動機の原点であることを思い出しました。
そして小学校、中学校とクラスの人気者ポジションにいたという大堀さん。中学生時代はヤンキーっぽい子とも仲良く、スポーツ万能、成績優秀という、スーパーボーイの様相だったようです。そのためか、「とにかくカッコイイこと」「なんでも人より出来る有能なオレ」という人物像でありつづけることに、強いこだわりを持つようになったと言います。
そんな折、夏休みに参加した野外活動キャンプの高校生スタッフのカッコよさに憧れ、子どもたちとキャンプをするというキャンプカウンセラーの活動にのめり込んでいきます。キャンプカウンセラーの先輩たちは、「ヤンキーとは違うタイプのカッコよさ」だったそう。とにかく「カッコイイこと」が大堀さんの至上命題だったようです。